カテゴリー:日々清々 更新日時 2024/09/03
夏になるとクリニックの周りや私の周りに妖精さんたちが現れるようになる。 妖精さんたちはたくさんのトマトや茄子やレタスやささげやとうきびなどなど様々な野菜を持ってきてうれしそうに手渡して下さったり、時に我が家の玄関にそっと置いてあったりする。それぞれの菜園で手塩に掛けた野菜たちはみんな元気で時に育ちすぎていたりするが、ありがたいのひとことである。できる時期が同じなのでそれぞれの妖精さんたちの同じ野菜が集合して冷蔵庫の野菜室が胡瓜だらけということもあるが、スタッフで分け合って美味しくいただいている。
医療機関のほとんどが「患者さんからのお心付けは固くお断りします」の張り紙をしている。お心付けがいわゆる金品なら、そうだと思うが、こちらにいただくお心付けは手塩に掛けた野菜たちなので、私は心から有り難くいただく。そのやりとりもまた地域で医療実践をしている喜び、余禄でもあるということで。 顔の見える医療実践をしている、と思っている。医療だもの医療者は患者の顔を見ているだろうと思われるかも知れないが、その人の顔でも人生でもなく疾患や身体を見ているとしか思えない医療者も少なからずいる。良くなる病気なら患者さんたちもそれを良しとするだろうけれど、悪性疾患や神経難病などで治らないとされた場合、患者さんたちが望むのは「困っている私、苦しんでいる私」をみてほしいではないだろうか。
見る 観る 視る 看る 診る と「みる」に当てられる漢字があるけれど、医療における「みる」は看護師の看「看る」と診断の診「診る」。ことに「看」の字は手と目を組み合わせたもので、ちゃんと見てちゃんと手を差し出すことを意味している。患者さん(患う者)の体や病気だけではなく、そこから生まれる思いや願いも含めて見て手を出すこと。これがプライマリケアに最も必要なスキルだろうとも思っている。
妖精さんたちの野菜作りもきっとちゃんと「見て手を出し」てそして愛を込めて育てているのだろう、と想像できる。なぜなら、持ってきて下さる野菜たちは少々格好が悪くてもそんな美味しさで溢れているから。
愛溢れる野菜たちに養われて私の夏は元気です。
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