カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2018/06/27
老健での看取りを重ねて、命を自然に終えることを強く意識するようになりました。がんであれ非がんであれ、高齢になっていのちを終えることに大きな違いはないように思えてきたのです。
最近心がけていることは「何も足さない 何も引かない」です。
食が細くなってきた方は様々な工夫をして食事あるいは栄養をとっていただきます。それは高カロリーの飲み物やゼリーやお好きな果物や果物のジュースなどを含みます。食べていただく時も無理強いはしないけれども、失行や失認で食べられない方には口に入れて差し上げることはします。一日一食が精一杯の方もおられます。その食事量にご家族と共に一喜一憂することが大切なのかなと思っています。
経管栄養の人の「何も足さない 何も引かない」は難しいです。なぜならご本人の希望とは無関係に栄養と水分を入れることができるからです。
なので、私たちはその栄養と水分の量をご本人の体調を見ながら細かく調整します。吐いたり、栄養の逆流が見られたら、それは胃腸の機能よりも栄養が多すぎる、むくんできたらそれは腎臓や心臓の機能よりも入れている水分が多すぎる時と判断し少しずつ減らす調整をします。その方に最適な一日の量が私たちの一食分より少なくなってしまう方もいます。
でも、想像してみて下さい。
私たちだって食欲のない時に無理矢理食べさせられたら、気持ち悪くなりますよね。体調が悪くて消化の機能が落ちている時は胃腸を休ませたいです。衰えた超後期高齢者の消化機能や腎機能に合わせた食事が驚くほど少なくても、それがご本人にとって安楽であることが望ましいと思います。
そして、すこしずつ痩せて、枯れて行かれます。でも、お家で元気に暮らしておられる超後期高齢者の方たちも同様に少しずつ食が細くなり痩せていくのと同じことです。
その結果、私たちの施設では痰を吸引することや誤嚥性肺炎を起こすことが激減しました。結果的にご本人の苦痛は大きく減り、静かに天寿を全うされるのだと思っています。
「何も足さない 何も引かない」はケアに関わる者にとって簡単なことではありません。ともすれば何かしてしまいたくなるしその方法も持っているからです。でも最善のケアをめざした時、心を決めて家族と共に点滴ではなく思いを注ぐことをしていきたいと思っています。
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