カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2017/08/09
自分も老境に足を入れ始めてわかることがある。
「年をとるということは失うことの連続なのだ」ということではないかと。
記憶力や適応力は低下し、新しいことに踏み出す元気が出ない。そうも言っていられないので、相棒のO先生の判断に従って遅ればせに我がクリニックにも電子カルテが導入されることになった。最初はオーダリングから、なのだが、内心戦々恐々。なにせ、家電も取説を読まずに動かすたちなので、事前の説明も何がなにやらさっぱり。動かしてみなけりゃわからないと腹を括って、稼働のその日を待っている。
とはいえ、本当の「年をとるということは失うことの連続なのだ」ということは、こんなかわいらしいレベルの「失い」ではないのだろうと想像する。
自由に動けた脚力や、好きなだけ食べられる健康を失って、好きだった旅行や外食ができなくなり、家の中でも転ぶようになり、いずれ誰かの介護を受けなければならなくなるかもしれない。年を追うごとに大切な友人や家族を喪うだろう。仕事や役職などの役割もきっと減っていく。こんな風に、様々なレベルで日々、少しずつ何かを失っていくことはすでに実感のレベルでもある。
でも、老いることは絶望ではないと示してくれた方がいる。それが先頃105歳でお亡くなりになった日野原先生であり、今なお若者顔負けのパワーポイントを自ら作成されて講演される方波見先生の存在である。
お二人を拝見していると、失っていくものも確かにあるけれども、変わらない知性があり、豊かになっていく感性があり、成熟していく智慧があって、時間を楽しめることに変わりはないようである。願わくば、私もそうありたいと切に願う。
というわけで、まずは、導入される電子カルテを楽しもうと思っています。
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