カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2017/07/26
前回のブログではシンポジウムの前段のことを書きました。今回は後段の部分について。在宅医療では外来や入院での医療と違って、他施設多職種のチームケアになります。もっといえば、外来での医者と患者の一対一の関係から、患者さんや家族チームと医療・介護・福祉チームの面と面の関係になるわけですが、これがそう簡単ではありません。事業所が違い職種が違うことで、価値観や関心領域や技術や知識がバラバラになります。だからこそ面で支える意味や価値もあるのですがその違いが亀裂を生むこともないこともなく。
患者さんや家族が主体的に関わって下さる場合は彼らが情報の伝達や必要なことの要として交通整理として下さるから何とかなりますが、展開の早いがんの終末期とか認知症や独居の高齢者の場合、意思の疎通がうまくいかないことが大きな齟齬を生むこともあります。その中で医療、特に医者は敷居が高くて話しずらいと言われることが少なくなく、そんなつもりはないのだけれど・・・・と思っています。
こんな時に心療内科医としての技が生きることもあります。傾聴、支持、保証という簡易心理療法の技は他職種と話し合う時にも役立つんですね。 カンファレンスなどでファシリテートの立場に立つことが少なくないのですが、自分で今回の話を構成しながら、カウンセリングモードもときどき混ぜ込む必要も感じました。
過日 町民センターで50名を超える方たちに心の健康についてお話しさせていただいてきました。 「気づき つなげる あなたの優しさ ~大切な人のいのちを守り…(続き)
認知症の学習会で伝えたもう一つのことは「ありがとう」 認知症の方が持てる能力の最大限を使って日々を生き、私たちのケアを受けて下さっている。 私たちはそのことに「ありがとう」を伝えていますか?…(続き)
スタッフのための学習会「認知症ケアの哲学と理念」を実施しました。シフトのあるスタッフたちなので2回実施。 最初に私は「あなたは認知症の利用者さんを尊敬できますか?」と尋ねました。 目の前…(続き)
老健での看取りを重ねて、命を自然に終えることを強く意識するようになりました。がんであれ非がんであれ、高齢になっていのちを終えることに大きな違いはないように思えてきたのです。 最近心がけている…(続き)
治らない病や進んでいく障害と向き合うことは苦しい。 年を取るということは、究極、いのちの終わりに向かって、進んでいく障害を受け入れつつ生きることに他ならないとさえ思える。ましてや認知症や神経難…(続き)