カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2011/11/11
北海道地域医療研究会のブログで地域医療は砂金採りのようなものだと書いた。日々の仕事は冷たい水に入って砂を掬うようなものだけれども、そこにキラリ と喜びの砂金が光るのだ、と。そして、その喜びの一つを書いて、このブログへの予告編としたのだが、忙しくて書き継ぐことが出来ずにいた。
今日は、その続きを書きたいと思う。
喜びの二つ目は、毎年している、スタッフ面接での一言。採用数年目のスタッフから「ようやく『我妻とは・・・・』がわかってきたような気がします」と言われたのだ。
私たちは日常の医療の他に「医療活動」も大切にしている。健康教室であったり、医療講演会や健康餅つき大会であったり。
日々の仕事の他なので負担も少なくない。「なんで、ここまでしなければいけないの」最初にそう感じるスタッフは少なくない。けれども、やり続けている中 で、地域の方たちや患者さんとのふれ合い、喜ばれている実感、大変だけれどその中で成長している実感を感じ始めると、「我妻のスタッフ」が産まれてくる。
そんなスタッフの成長を感じることが私の大きな砂金としてキラリと光った。
そして、3つ目は・・・・
私達の病院は介護療養病床を30床持っていて、そこは寝たきりのお年寄りがほとんどであ る。目をつぶったまま反応すら出来ない人、笑える人、食べられる人、しゃべれる人(内容はともかく)。さまざまなレベルの介護を必要としている高齢者たち ばかりなのだけれども、私にとってはそこの回診は癒しの回診でもある。
ある日のこと、いつものように回診に行くと、Mさんが手を差しのばしてくれた。モニョモニョ・・・としゃべる。
「なあに?」耳を寄せて聞くと、「こんなに元気にしてくれて、有り難いねえ・・・・」とのことをようやく聞き分けられた。
一時期は鬱状態で希死念慮もみられたMさんだけれども、最近はいつもニコニコしていて、口にするのは感謝の言葉。本当の意味で元気にしてあげられたわけで もなく、相変わらずの心不全で、寝たきりなのだけれども、苦しくなくなった日々は彼女にとっては「有り難い日」なのだろう。そうやって生きている日々を感 謝できる寝たきりさんこそ「有り難いなあ」とかえってこちらを元気にしてくれる存在でもある。
この部屋は文字通り「ありがた~~~い」部屋で、同室のSさんも認知症ながら、口にする言葉はいつもスタッフへの配慮であったり感謝であったりする。
こういうお年寄りを見ていて、自分もこんな風になりたいな、と学ばせてもらっているような気がする。「感謝と配慮」たとえ、寝たきりでも認知症でも、誰か を癒し、誰かを支えて日々は生きられるのだ。そんな素晴らしい人たちに囲まれて、私はささやかに幸せを感じて、今日の砂金大きいのを一ヶ見いつけた!!
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