カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2011/08/24
多老、多病、多死の時代が来るという。団塊の世代が高齢化し、少子化により人口が減っていく中で、足寄という地域は日本の未来の姿を映し出している。
地域の方々が地域で豊かに生き、暮らしを育み、そして、尊厳ある人生の最期の時を過ごすために、私たち医療者は何をすればよいのか、地域はどうあるべきなのか・・・・ずっと考えてきた。
小さな民間病院が負える荷物は大きくもないけれども、78年間、この地域で医療を実践し続けてきた責任は小さくもないと自覚している。
患者さんが亡くなり、そのご家族が挨拶に見えられて、「私の時もよろしくお願いしますね」と言われると身の引き締まる思いがしたものだ。
その一方で、地域医療を取り巻く状況は決して良くはなっていない。
地域医療崩壊と言われ、医師の「立ち去り型サボタージュ」やそもそも地域で生まれた人でさ え、地域を捨てていなくなるのに、医者や看護師だけが地域に集まれるはずもない。そんな中でも全国一律の基準を求められてスタッフを揃え、効率とはほど遠 いきめ細やかな医療を提供しながら、高齢化する地域を守りつづけることは簡単なことではない。
地域で継続可能な医療を提供するために、さらには地域の医療を後退させないために、そして、増え続ける要介護高齢者とその家族を支えるために、私たちの出来ること・・・・
ようやく、決心が付き、一つの方向を歩き始めた。
それは・・・・50年以上続いた病院という看板を下ろし、病棟の介護療養病床30床と医療一般病床20床を廃止し、介護療養型老人保健施設50床へと転換 することであり、外来部門をこれまで同様継続すると同時に在宅支援診療所としてより在宅医療に比重を置くという決断だった。
国保病院に急性期入院や救急を担ってもらい、私たちが慢性期のケアやリハや看取りを施設と在宅の両面で担う。またそのためのバックアップを国保病院にお願いしようということだった。
その前提には、地域の医療を後退させないための国保病院との密接な医療連携が欠かせない。そして、幸いなことに、町長や国保病院の院長との度重なる話し合 いの中で、地域を守り、豊かな地域を作るために、お互いが自分たちの利益を主張するのではなくて、患者さんや地域住民を中心においた考え方をしていくこと で一致できたのだ。そして、より具体化するために話し合いを続け、顔の見える連携のために医師や看護師などの勉強会も始まっている。
これまであ る意味ライバルであり、違う風土、価値観を持ってきた二つの医療機関が手を取り合う。これが実現すれば、人口が減り続ける地域の医療とケアを守るために画 期的だと思うし、だからこそ、前途は必ずしも容易でもないと思っている。ただ、大切なことは患者さんや地域を中心に考えて、妥協できることは妥協し、認め あえることは認めていこうという立ち位置を双方が確認できているということにあるのだと思っている。
来年度の我妻病院は病院ではないが、どこよりもあったかなケアを提供できる場であり、その中でスタッフがやりがいを感じて、ゆったりと流れる時間の中で、スタッフも利用者もそのご家族も、みんなで穏やかに笑いあえる施設になっていたいと思っている。
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