カテゴリー:ターミナルケア 更新日時 2011/07/15
今日が母の4回目の月命日です。母が亡くなってから、その日を起点にものを考えることが多くなりました。
時間が経ち、日々が過ぎて、前回書いたような身を切られるような痛みは軽くなってきました。
軽くなっていく過程でのグリーフワークと周りの方々からのサポート(グリーフケア)について、今日は書いてみたいと思います。
私の実感としては、グリーフワークはまさにキュブラー・ロスのがん告知後の段階とほぼ同様に経過したように思います。衝撃があり、否認があり、抑うつ状態があり、そして、受容が訪れるのでしょう。
がん告知と違うのは、決して希望が併走しないことです。亡くなった人とは二度と会えない、解決するべき課題が残っていても、それは自分だけの中で解決しなくてはならない。という事だと思います。
私の中で渦巻いていた課題は、前回書いたことや非公表のものも併せて、書くという作業で少しずつ整理されました。書くことは大切だと感じます。
きっと語ることも良いのだと思うのですが、誰に語ると癒されるのかがわからなくて、私は自分の心の中だけのワークとしました。
そうして、辛さが減ったとはいえ、寂しさが無くなったわけではありませんが、強い自責感は母への感謝や尊敬や、未熟だった自分の受容といった形へ収束しつつあります。
その中で、私のグリーフワークを支えてくれたグリーフケアとなったのは、まずは母の友人たちでした。四十九日までは毎週七日ごとに、その後は月命日ごとに 訪れてくれて、私たち娘の知らなかった母の日々を教えて下さいました。家族以上に母の死を悼んでくれ、母を大切にしてくれた人が母の周りにいたことは、母 の人生をより強く肯定できるよすがとなりました。
御霊供膳のためにお料理を持ってきて下さる人、花を持ってきて下さる人、思い出話を持ってきて下さる人。ご挨拶状の宛名書きをお願いした方からは、一銭も受け取っていただけず、お母さんへの恩返しですから、と言っていただいた時にはその優しさに涙がこぼれました。
母が愛され、尊敬されそして皆様との関わりの中でとても充実した人生を送っていたことを何度でも確認させていただき、母の人生を誇りに思うことは痛みへの何よりものお薬でした。
私の友人たちからも心のこもったメールが来ました。不思議なことに同じ痛みを経験した人からの言葉はより深い奥行きを以て心に染みました。
主のいなくなった庭の草取りをして、庭を美しくして下さった方、私の家の前にそっと鉢植えの花を置いていってくれた方、診察室で「寂しいでしょう・・・」と涙を流して下さった方。私の涙に目の縁を赤くしてくれたスタッフたち。
たくさんの言葉よりも、こうしたさりげなく示された優しさほど、心になじみ、傷の痛みを和らげてくれたように思います。
今は、そうした優しさの有り難さを噛みしめながら、母の体はこの世にはもうないし、その声を聞くことも、笑い顔を見ることも出来ないけれども、かつて以上 に母の存在を感じ、守られていることを感じられるようになってきています。母は亡くなって神様にも仏様にもなったとも思えないけれども、その魂は大きない のちの一つに還って、父と再会し、穏やかな世界にあって、今も私たちを守っていてくれていると信じられるような気がしています。そして、いつの日か私も又 そこに還っていくのだと思うことで、今しばらくの寂しさに耐えられるようにも思うのです。
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