カテゴリー:日々清々 更新日時 2010/07/21
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
後略 (宮沢賢治)
若い頃、この詩をがんばりやさんあるいはとても「よい子ちゃん」の詩と読んでいて、とりわけ感動した記憶はない。
野良着を着た、若い農民が労働で鍛え上げられた力こぶを黙々と動かし畑に働く姿を想像していただけで、こんな善人どこにもいないや、とむしろ斜に構えていたかもしれない。好きな詩というのではなかった。
死の臨床研究会が今年は盛岡で開かれる。そのポスターに宮沢賢治が描かれていて、なんとなく、自分はこの詩をどのように理解していただろうかと思い、再読してみた。
若い頃の記憶は確かで、かなりの部分を暗記していたが、この年齢になって再読すると、若いころには見えなかったものも見えてきたし、全く忘れていた文節もあった。
さきほどの詩の続きには、質素を旨とし、人々のために生きることを目指しながら、
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
中略
ヒデリノトキニハナミダヲナガシ
サムサノナツニハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
と書かれてあり、賢治はひっそりとささやかにしかし決然と「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」と呟いて、この詩は終わっていた。
マザーテレサにつながる精神を見たような気がした。
自分をさておいて、誰かのために行動し、それは、なによりも当たり前で、当然で、自分の手柄でも名声のためでもない。人のために何かを為すことは、社会や 時代を動かすということではなくて、目の前の困っている人のために心から寄り添い、共に泣き、そして出来ることがあれば、そのことを淡々と為して、そして 心にとめない、ということなのだろうと思う。私の考える医療もそのようでありたいと思っている。
キリストの言葉にも、右手のすることを左でに知られてはならないという言葉があって、善行は、そのくらいひっそりと行われるべきだとしている。
「デクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
がんばった時、誰もがそれを認めて欲しいと思い、褒めて欲しいと望む。
力を持てば、その力を行使したくなるし、それが社会正義と思えば、声高にもなる。
でも、賢治はそれに背を向けようと呟く。
自分の心の中にこそ、勲章はあり、人により添う心にこそ、平安はあると。
そう思って周りを見ていると、市井に細やかに生きている人たちの中にこそ、小さいけれども輝く善意の光があることを見聞きできる。
近所のおばさんが倒れたといって、夜遅く連れてきてくれる隣人。知っている人がこんなことで困っているから、先生何とかならんかと案じてくれる知人。患者さんの生活を支えるために仕事を越えて心配し考え、あれやこれやの案を出してくれるスタッフ。
彼らを見ていると、この世は信じるに足ると思える、そしてその幸せ。
思い通りにならないことや、ままならないことに目を向ければ、山のようにあっても、なにもかもうまくいかせようという欲さえ捨てれば、それらのこともまた流れる水のように去っていくのだろう、と思える。
思いもかけず、賢治の詩に感動させられていた。
褒められたい、認められたい、あれも欲しい、これもほしい、こうしてほしい、こうじゃなくちゃいやだ・・・・・。こうしたが欲を一つ一つ脱ぎ捨てて、身軽くなっていくことが幸せな人生のレシピなのかもしれないと新ためて思った夏の午後でした。
夏になるとクリニックの周りや私の周りに妖精さんたちが現れるようになる。 妖精さんたちはたくさんのトマトや茄子やレタスやささげやとうきびなどなど様々な野菜を持ってきてうれしそうに手渡して下さ…(続き)
最近、固い話ばっかりだったので今回は朝ドラ「寅に翼」について語ってみる。 老健を廃止してクリニックだけになったので、出勤が30分遅くなり、おかげで40年ぶりくらいにリアタイで朝ドラを見られること…(続き)
気がつけば「古希」だった。幸いにも目尻にしわは無く、マスクがほうれい線を隠してくれるのでぱっと見には古希には見えないだろうと鏡を自分で確かめて肯く。還暦を迎えたときには、古希のこの年まで仕事を続…(続き)
おしっこが近くなる。夜何度も目が覚める。老眼で読みづらい。聞こえづらい。(聞こえないのではなくて、言葉の聞き分けが難しくなる)たまにむせる。あちこちが痛くなる。云々 診察室の「おじいさ…(続き)
芸能人の自殺のニュースが断続的に続いた。きっとそれに心を揺らされている人たちもいるのだろうと想像する。 これまで心療内科医として私は少なからず患者さんたちの「死にたい」に向きあってきた。そこで…(続き)