カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2009/12/23
昨日今日と我妻病院はクリスマス日和。
12月の声を聞くとスタッフはそわそわし始める。クリスマスの準備が始まるからだ。
患者さんたちへ差し上げる手作りのプレゼントをどうするか、何を作ろうか、カードはどうしよう・・・・・
どんな小さな物でも良いから、手作りしようとがんばって続けてきたクリスマスも、今年で23年目くらい。
長くリンゴのサンタの時代もあり、最近はタオルで作ったロールケーキなどのタオル小物などなど。
今年は来年の干支にちなんだ「うさぎさん」が選ばれた。テープを外すとただのタオルに戻ってしまう便利もの。作成者の器用さにも依存して、ウサギにしては 耳の短いロバにみたいなのもあるけど、その不揃いさが妙にかわいいと思える。プレゼント作りの日は職員控え室はちょっとした工場になる。
病院に不似合いなクッキーを焼く匂いを漂わせて、手作りクッキーが完成し、手作りカードを入れてラッピング。それらは全て職員の手による暖か仕上げ。
さっそく、訪問診察でお渡しすると、とても喜んで下さって去年に差し上げたタオルのロールケーキの横に飾って下さる。
「タオル使っても良かったのに・・・」と私
「かわいくてもったいなくて、こわせないから。今年も本当に嬉しいです」
こんなに喜んで貰えることを作ったスタッフは見ることは出来ない。だから、伝えようとするのだけれど、伝えきれないもどかしさがある。
そして、昨日は有志スタッフがサンタの恰好で、理事長サンタの贈り物を持って職員の子どもさんの所にアポなし訪問(親はもちろん知っています)
子どもたちは突然訪れた、サンタグループにびっくり!!
泣き出す子やはしゃぐ子、呆然とする子。本当のサンタが来たと、きっとしばらくは信じているんだろうな、と思うと嬉しくなる。
その間私は寒いところを帰ってくるサンタたちのためにささやかなクリスマスパーティの料理作りに大忙しだ。でも、子供を持ちながら働いてくれているスタッフのためにがんばってくれた若いスタッフの思いを考えると、いきおい腕も鳴ろうというもの。
餃子鍋や蒸ししゃぶしゃぶやタイ風サラダを作って、バキュームのように若い彼らの腹に収まって行くのを見るのはとても楽しかった。
でもそれよりも何よりも、喜んでくれた子どもたちの笑顔こそがきっと彼らへの何よりものプレゼントなのだと思う。
そして、今日は我妻病院のクリスマスの本番の日。クリスマス一色に飾り付けられたデイルームに集まって、デイケアの利用者、病棟の患者さんとささやかなクリスマスのひとときを過ごす。
スタッフはもちろん患者さんたちも、みんなでそれぞれのクリスマスカチューシャを付けて、すっかりクリスマス気分。サンタさん、トナカイ、ツリーなどなどなど。 わたしもトナカイの角を付けて気分を出してみた。
例年のようにボランティアで赤い上着のひまわり合唱団の方々が来て下さった。お母さんたちの優しい歌声にたくちゃんの男らしい声も混じる。ちょっと前まで はボーイソプラノだったのに大人の声になってきていて、それにも感動する。彼らのクリスマスの歌を聞き、共に「ふるさと」を歌い、時が過ぎていく。
ふと横を見ると、呼吸不全のおばあさんが酸素を吸いながら、小さな声ふる里を口ずさんでいた。涙を流しながら・・・・・。そして、私も。辺りを見回すと、認知症のおじいさんも小さく口を動かしている。暖かな共感の輪が会場を満たしていた。
その後、デイルームに出てこられなかった患者さんの元にサンタ集団がプレゼントを届けてもらって無事終了。ベッドの上の患者さんたちはうれしそう。その笑顔にこちらこそが喜びを与えられるように思う。
準備は大変だけどこの感動があるから続けられるのだと思う。
自分のためのクリスマスも楽しくて良いけれど、本当のクリスマスは人のために心を砕いて作るクリスマスなのだと思う。心がほっこりあたたまって本当にステキなクリスマス日和でした。
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