カテゴリー:ターミナルケア 更新日時 2009/06/17
5月の末に5年越しのラブコール叶って、我妻病院の医療講演会で山崎章郎先生のご講演が行われました。
山崎章郎先生は日本のホスピス界を牽引してこられたお一人で、「病院で死ぬこと」などのベストセラーの著者でもあります。
「死の臨床研究会」というターミナルケア関連の学会の中でも(私が思うに)かなり変わった学会で知り合いました。(というか、勝手に憧れていた?) かな り変わった、というのは、私にとってはとても良い意味で言っています。それは、単なる医療の一分野というよりも、医療の主役を患者さんとしてその視点を入 れよう、コメディカルも共に考えよう、そして、死生観という哲学的なところにも踏み込もうとしているという点で優れて変わっていると意味です。
医療は科学ではない。というとヘンに思われるかもしれません。
けれども、考えれば考えるほど、多様で曖昧なものが満ちあふれているのが、現在の医学の限界です。
ましてや、「死」という、誰にも訪れるけれども、誰もが経験したことがない(経験した時には死んでいる)ことが医療の中にあり、患者さんは医療者の支えを求めているというのも事実だし、そのことに医療者自体がちゃんと関われているのか、というとまだまだだと思うのです。
山崎先生は、ベストセラーから10年以上過ぎても、まだ本が売れているという現状、ある意味少しずつ良くなったとはいえ、まだまだ課題があるということを憂えていらっしゃいました。
とまれ念願叶っての講演は素晴らしかったです。痛みをちゃんと取らない医療の罪作りな話や小平での地域ケアの話も多くを考えさせられました。
話の多くを「スピリチュアル」に割かれました。
WHOの緩和ケアにおける4つの痛み「身体・精神・社会そしてスピリチュアル」の中でもっとも実感が持てなかった痛みですが、今回話を伺ってようやく、腑に落ちました。
スピリチュアルペインとは、体や心が絶対的に危機的な状況で初めて生まれてくる、失われた生きる意味や目的を自己の内面の中に見いだそうとする機能なのだ、と聞いた時、本当にそうだ、と思いました。
そして、人はそのように困難な時にこそ、自分の存在を問い直すことができるという可能性を持っていることを改めて考えさせられました。
そして、それらを支えることこそが、医療者の大きな使命であるとも感じます。
「死んだらどうなると思いますか?」聞いて良いのか、と悩む問いかけでもありますが、まさに死に直面している人は、そこが知りたいのでしょう。
そして、共に考えてくれる人を求めているのだと改めて思います。
様々な人の命に関わり、その人生の総決算とも言うべき死に関わる。
その仕事の厳粛さが身に染みます。
終わってから、80歳代の男性から、本当によい講演会だったとお褒めいただきました。老いは人生の四季で言えば「冬」。その「冬」の時代を生きておられる方からのお褒めは何よりも嬉しかったです。
山崎先生本当に遠いところ来ていただいてありがとうございました。
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