カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2008/12/10
人と人とは会います。毎日、毎日たくさんの人と。それを出会いと呼ぶのか、単なる接触と考えるのかで、人生の輝きは変わるような気がしています。
私は医師として、毎日、患者さんと会っています。スタッフと会って仕事を共にしています。ほぼ、365日、私は医師です。
そんな日々、笑えるときもあり、腹が立つときもあり、嬉しいことや悲しいことも含めて、おおむね日々は大きな事件もなく淡々と過ぎていきます。
患者さんも、風邪や高血圧や、時に肺炎やがんや、それぞれのドラマの主人公として、ありふれた日常を過ごされているときもあるけれども、時には運命に抗い、大きな苦痛を抱えてこられるときもあります。
そこに、どう向かい合うか、それを「出会い」と感じられるような邂逅を私はしているのか、と考えています。いつも意識していたいと思っています。
さて、最近、私にとって10年に一回か、あるいは、もっと希有で貴重な出会いがありました。
シンクロニティー共時性ーという言葉があります。出来事でも人でも、偶然を偶然としてではなく、出会うべくして出会った。つまり、運命の糸に曳かれるように出会った、と感じること、です。
それは、奈井江町で地域医療をされている「方波見康男先生」との出会いでした。
地域で医療をしている先達として、新聞等で名前だけは存じており、また死の臨床研究会の先達としても領域の重なる部分の多い先生として認識していましたが、本格的にお目にかかったのは今回の「死の臨床研究会」が初めてでした。
先生のスライドが始まった瞬間、私はいきなり自分の心が大きく震えるのを感じました。そして、知らずに涙が滴りおちていました。
それは、先生が亡きお父さんから譲られた古びた往診鞄のスライドでした。ほつれを直しながら使っていた私の亡き父の往診鞄にそっくりでした。
世代を継いで医療をしている。その中に自分の存在理由を誰よりも確かに持っておられる。そのことがそのスライド一枚で、私の心に響いてきたのです。そして、私の中に流れる「地域医療の魂」がそれに感応したのを知りました。
61歳という道半ばでがんで亡くなった父の死をどこかで認められなかった、娘としての無念さ。けれども確かに自分の中に流れている父の血。そのことが実感できたのです。父が亡くなって20年余、初めて父の死を肯定的に認めることができた瞬間でした。
そして、方波見先生の歴史、医師として、人間としての深さに圧倒されました。西洋の哲学、日本の詩歌、神性、それが縦横無尽に語られて、ついに人の存在の 持つシンクロニティー共時性ーに到達したとき、人は神様によって生まれてきたのだ、という感覚を持ちました。神様とはある人にとってはキリストかもしれな いし、釈迦かもしれない。私にとっては名前のまだない、「Somthing Great」の存在への確信でした。
人は大きな力によって生かされ、活かされている。今ある困難も、乗り越えるべき試練と思うとき、それは苦痛というよりもある価値を持ち始めるのだと感じました。
医療を取り巻く状況は厳しいし、個人的にも大きな課題を抱えているけれども、それもまたいずれの時かの実りのためにある。そう、信じることができたのです。
この出会いを創ってくれた大いなる力に感謝しつつ、日々の仕事は続いています。
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