カテゴリー:ターミナルケア 更新日時 2008/10/01
10月4日5日と死の臨床研究会の年次総会が札幌コンベンションセンターで開かれます。
そこで、「病院で死ぬということ」で医療界に大きな課題を投げかけ、ホスピスから地域ホスピスケアへと展開されている山崎章朗先生の教育講演の司会をすることになりました。
そこで、昔読んだ「病院で死ぬこと 正・続」を読み「新ホスピス宣言」を読み、予習をしたところです。
そこで、気がついたこと。「同じ所にいる!!」でした。
こんなことを書くと山崎先生には笑われてしまいそうですが、そう感じたのです。
山崎先生は大きな病院の外科医として、今の医療が人の心を救わない、むしろ尊厳さえ傷つけている。という強烈な思いからホスピス医への道を歩まれました。そして、結局は病院ではない、地域で「壁のないホスピスを」
癌だけではない、高齢者や神経難病などの緩慢な死を生きている人たちの尊厳ある生を支えるケアを、と考えられて小平ケアタウンを立ち上げられました。
私は逆に地域で医療をしている中で、高齢者や神経難病の方々の尊厳ある命のあり方を考える中で、癌のターミナルケアに関わり、ホスピスは地域で行うべきだと考えるに至りました。
なんといっても、私達の町のような田舎にホスピスができるはずもなく、ホスピスを求めて生まれくらした町から切り離されたり、家族から離れて家族の中での役割も失って生きることに意味があるとは思えなかったのです。
だったら、私達が緩和ケアをちゃんとすること。生まれくらした町で家族や友人に囲まれて、最期まで役割を持って、家と病院と状況に応じて好きなように選べたら、安心と自由を両方持てることこそが大切なのでは、と思ったのです。
大きな山の違う登り口から登って、同じ頂にいる。そんな連帯感を感じました。とはいえ、私達の居る「同じ場所」が理想の場所だとは思っていないと思いま す。もっと高い場所へ、理想を求めて行ったら、また違う頂を目指すのかもしれません。が、地域で生きる人を支える、命を支えるということの意味を別な視点 で示していただいたような気がして嬉しかったです。
さて、もう少しで本番。上がらないように、上手に司会ができますように、いまからちょっとドキドキです。
ぜひ、多くの方々にご参加いただきたいと思っています。
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