カテゴリー:ターミナルケア 更新日時 2008/04/16
数年前からターミナルケアの一環として「お悔やみ訪問」を行っています。私達の病院で亡くなられた方に亡くなった際の「お清め入浴」と四十九日の頃にお線香を持ってご自宅に伺う「お悔やみ訪問」を行っているのです。
それは、ご一緒に患者さんの限りある日々を支え合あわせていただいた感謝の思いをお伝えすると同時に、大切な方を亡くされたご家族の方々と思いを分かち合い、そのグリーフワーク「喪の仕事」を支えたいという思いから始まりました。
四十九日過ぎる頃になると、家の中にあった喪に伴う慌ただしさも落ち着いて、かえって疲れや寂しさを感じられることが強くなるようです。体の不調を訴えられる方もおられます。
訪問すると「わざわざ来て下さって・・・・」と恐縮して下さったり、手作りの強飯や漬け物などを用意してまっていて下さっていたりします。帰りに自慢の手 作り味噌をいただいたりして、それはそれでうれしいのですが、私達にとって何よりも嬉しいのは、入院中のスタッフと撮った写真が仏壇の前に飾っていて下 さっているのを見たり、入院中の共通の想い出を、同じ気持ちで語り合うことができたときです。
また、こちらが考えている以上に些細な出来事でご家族が自分を責めておられることもあり、そのことを語ることで、痛みが軽くなるお役に立つことができることも、お悔やみ訪問の一つの役割かなと思ったりします
神経難病でなくなったSさんのお家を訪問したときのことです。奥様は、呼吸不全の悪化で意 識が無くなる前日に、「なんとなく、大丈夫な気がして」付き添いを変わって家に帰ってしまったことを、とてもとても心の傷にしておられたことがわかりまし た。とても一生懸命に尽くされていたのに、「あんなに先生に危険だといわれていたのに、それでも何となくまた良くなるような気がして、まだまだこれから先 が長いからちょっと体を休めようなんて考えたりして、私って冷たい女だよね・・・・」涙・涙・涙と後悔しているのです。
この気持ち、とて も良くわかります。家族は何となく最悪の事態を考えたくなくて、考えないでしまう(心理学的には否認というのですが)。まさに私自身も、父のターミナルの 際に、低空飛行だけれども、しばらく(どの程度?)はこのまま頑張るに違いないと根拠無く考えて、病床を離れて病院を守るために足寄に戻り、父の死に目に 会えなかった後悔があるからです。
その話をしました。そして、どんなに病状が進んでも、介護のための寝不足のあまり奥さんがイライラしても、いつも笑顔で時に少々とぼけながら、ひとつひとつ困難を受け入れてきたSさんの強さや優しさへの尊敬の気持ちをお話しさせていただきました。
自分の運命を呑み込んで、日々を過ごされていたこと、それを支えてきた家族の絆と奥さんの戦いの日々。大変な状況の往診でも、いつも私達は豊かな気持ちで往診から帰ることができたことなどなど・・・・
「そうだね。私は冷たい女ではなかったんだね。彼は満足していたんだね」
涙は止まらないけれども、奥さんの背中がゆるんだように見えました。
往診から入院へまた往診から入院へ。長い経過を共にすると、患者さんや家族と医療者という関係を超えた、多分友情とも戦友ともいえるような気持ちになるこ とがあります。そのような関係になれたことを感謝しつつ、そして遺された家族が少しでも自分たちの道のりを肯定的に思い返せることを願いながら訪問させて いただきました。
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