カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2007/11/18
11月11日は我妻病院が新築移転して5周年の記念日です。そして、それはまた、初代院長我妻茂治が当時無医村になろうとしていた足寄町で医院を開院してから75年目でもありました。
祖父である初代院長も父である二代目院長も、共に地域での医療を目指して、北に向かってきた人たちです。
その思いを伝え続けるべく、待合室の柱には真北に向かう「ふくろう(コタンコロカムイ)」の彫刻が飾られています。
彼らは何を思い、知る人のいない北の地に向かってきたのでしょうか?
そして、何を支えに僻地とも言うべきこの地で医療を続けてきたのでしょうか?
祖父の時代、足寄は春先にはぬかるんで陸の孤島となったそうです。もちろん舗装道路はありませんでした。
冬 は馬そり、夏はオートバイで往診をし、不自由な医療器具と自分の目と耳と頭だけで医療を行ったことだと思います。往診に行くと、馬に蹴られて瀕死の患者が 戸板に載せられていたとか。処置をし、布団に寝かせて、3日通って、患者が死んだ話を聞いたことがあります。多分内臓破裂だったのでしょう。そんな時代で した。日赤の看護師だった祖母は祖父を助け、戦時中は畑をして食糧不足を補い、貴重な薬品をタンスに隠して足寄での医療を続けました。
そんな祖父は手術の際に肝炎にかかり、リタイアしてからも校医や移動献血車で地域のために働き、その後肝硬変から進行した肝癌で80歳台に亡くなりました。子どもたちからも慕われ、多くの人から愛された、まさに、地域医療が人生の人でした。
父の代は・・・・次回への続きとしたいと思います
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