カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2007/10/07
唐突に、往診物語の2です。では1はというと9月28日に書きました。書き終わって、これは連載にしようと思ったので、今回が堂々の(?)第2回目です。
さて、秋晴れというには夏の気配の残る火曜日、大好きな往診日でした。でも、大好きと言えるようになるにはそれなりの試練もありました。
病院の中にいれば、患者さんの病状は把握しやすいし、すぐに検査も出来ます。毎日顔を見られるから、関係も作りやすいし、医療者にとっては安心があります。
往診は、患者さんのお宅で医療を行う、ということだけではありません。いつ何が起こるかわからないし、そこには明らかな主客の転倒があり、私達は相手のテ リトリーに入っていくことになります。最初はそこがちょっと苦手でもあり不安でもありました。 バイタル(血圧や体温など身体の情報)だけではなく、患者 さんやご家族の表情から果ては衣服の乱れなどまで、患者さんやその家で起きていることなどを察知し、入院適応を決めたり、早め早めに患者さんやご家族の心 身のケアをしたり、ということも自信を持って出来るようになるまでは、それなりの時間も必要でした。でも、何よりもその人の「お宅でする医療」ということ を自分のものとするまでが、少々時間がかかったのです。
そこで得た極意の一つは、医者を捨てようということでした。もちろん、医者であることは 変わりはなく、ちゃんと患者把握はしなくてはいけないのですが、診るぞ、治すぞという気持ちではどうもお互いに緊張がとれないのです。そこで、あるときか ら、親戚のおじさんやおばあさんを見舞いに来た、たまたま医師の資格のある娘という感じになってみました。これは、理事長のI先生の極意の真似でもありま した。
すると私の肩の力も抜けたように、相手の肩の力も抜けたように思います。お茶をいただき、今年の出来秋を語り、ついでに自家用の無農薬の虫の食ったキャベツをもらって帰ってくるなどということが自然に出来るようになりました。往診って楽しいと思え始めたときです。
往診鞄にはカルテや血圧計が入っていますが、私達が届けているのは、安心です。私達がもらってくるのはキャベツだけではなくて、穏やかな暮らしの中で育まれている家族の思いなのだな、と感じます。
そして、暖かな思いでの帰り道、今回私は生まれて初めての虹の根っこを見ました。子どもの頃、虹の根っこを掘ると宝物が埋まっているというお話を聞いたこ とがあります。「虹待て、虹待て」と言うと虹が消えないから、虹を追っていって根っこを掘ろうとした人が、結局ねじの根っこにたどり着けないで倒れてしま う、というお話しでした。
でも、私の見た虹の根っこは本当に10mくらいの間近にあって、刈りいれが終わった豆畑からすっくりと生えていました。あまりにリアルに綺麗な虹の根っこが見られたので、思わず掘ってみたくなりました。でも、止めました。
だって、私の宝物は往診鞄の中にあるのですから・・・・・
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