大正14年 | 我妻茂治、(初代 院長)東京医学専門学校を卒業。北海道に医療の理想を求めて渡る。 釧路市立病院に勤務する。茂治、26歳。 |
昭和8年 | 上士幌、陸別、本別、釧路国足寄村と無医地区に囲まれた十勝国西足寄村(現足寄町南2条1丁目)に医院を開業する。看護婦3名。 |
昭和14年 | ノモンハン事件勃発。無医地区を預かる茂治に替わり、妻よしの赤十字従事看護婦として出征。 |
昭和25年 | 同地に医院を新築する。ベッド数10床。 昭和29年 我妻孝一(二代目院長)、茂治の長女敏子と結婚。地域での医療を継承するべく来町する。我妻姓となる。孝一、29歳。 |
昭和30年 | 我妻孝一、我妻医院での初の虫垂炎の手術を執刀する。 |
昭和36年 | 足寄町南4条2丁目への移転新築に伴い、医院を病院へと改組する。田口和之氏を迎え、医師3人体制となる。ベッド数27床。 |
昭和45年 | 2階西部分を増築し、ベッド数37床とする。 |
昭和49年 | 我妻茂治、僻地医療への功労を認められ、叙勲される。勲五等双光旭日章。また北海道より茂治、孝一親子で僻地医療功労賞をダブル表彰される。 |
昭和56年 | 我妻孝一、病院南棟を増築。リハビリ部門の充実を図ると共に、増築する。ベッド数55床。病院改組20周年を祝う。 |
昭和62年 | 国立療養所道北病院内科医長、池田裕次40歳、三代目院長に就任する。以降、地域に密着した医療活動を展開する。 |
平成5年 | 開院60周年を迎える。記念祝賀会を行う。 |
平成14年 | 足寄町南5条3丁目に新築移転する。 |
平成15年 | 開院70周年を迎える。鎌田實先生をお招きし、記念講演会「あきらめない」~地域で命を支えるということ~を行う。 |
平成19年 | 池田千鶴(前副院長)が、四代目院長に就任する。 |
平成21年 | 池田裕次、第37回医療功労賞中央表彰受賞。 |
平成24年 | 我妻病院から在宅療養支援診療所、介護療養型老人保健施設、通所リハビリテーション、居宅介護支援所となる |
平成25年 | 池田千鶴(前院長)が、理事長に就任する。 大門伸吾が、院長に就任する。 |